なんと言っても昨今はストレスの多い社会。
これを読んでいるということは、毎日しんどい思いを押し切って学校や職場に向かっていたり、なにかしらの悩みやコンプレックスを抱えていたりするのではないでしょうか。
そんな頭の中のモヤモヤを改善してくれそうな書籍を見つけたので紹介します。
それがこちら。
苫米地英人さんの、「頭のゴミを捨てれば、脳は一瞬で目覚める!」という本。
苫米地博士は有名な方なのでご存知の方も多いと思いますが、カーネギーメロン大学で博士号を取った脳機能学者であると同時に、会社をいくつも持って特許も取得しまくり、仏教やキリスト教とも密接で、おまけにコーチングやらなんやらまでやってる、要はチートみたいな人です。
それであるが故に、苫米地博士の本というのは、めちゃくちゃ読みやすい一方で、めちゃくちゃ達観した視点(苫米地理論で言えば「抽象度が高い」)で語られているので、苫米地本を初めて読んだ人は「え、意味わからん」「簡単に言うけどできるわけないじゃん」「なに言ってんのこの人」という印象をどうしても持ってしまうわけです。
今回のこの本での結論も、「人生のゴールに関係のないすべての感情を娯楽だと思え」「脳にネガティブな影響を与える思考をすべて捨てろ」という「それがすぐできたら苦労ないわ」というもので、さすがだなぁと思うばかりでした。
しかしながら、苫米地博士はその道のプロなので、それぞれの本にやはり学びがあるわけです。
今回の本についても、脳を苦しめる「頭のゴミ」というものを認識できるようになるという点で、すごく学びになりました。
これらを認識できれば、前回紹介した「クリアリング」を行うこともでき、解決につながっていきます。
というわけで、僕個人としてはシンプルでわかりやすい「クリアリング」の手法をおすすめしますが、苫米地流の解決法もすごく効果の高いものなので、これについては実際に本を手にとって読んでいただければと思います。
今回の記事では、僕たちを苦しめる「頭のゴミ」たちをいくつか紹介する形にしたいと思います。
それでは、いってみましょう!
頭のゴミその①「他者からの刷り込み」
僕たちは生まれてから現在に至るまで、本当にたくさんの価値観や考え方、基準というものに触れて生きていくわけです。
そのなかで、今自分が持っている価値判断の基準や「こうなりたい」という像や自分のゴールも、実は自分自身のものではなく「他人から刷り込まれたもの」である可能性が非常に高いのです。
これが、自分の頭に言いようのないモヤモヤを引き起こす「頭のゴミ」の一つであると、この本では語られています。
「○○歳なら年収○○万はないと」「○○ぐらいの大企業に入れたら成功」「年収○○万以上の旦那を捕まえたら勝ち組」「○○歳までに結婚できないと行き遅れ」といった話はネット記事やコラムで普通に書かれています。
でも、それがある種の圧迫にはなり得ても、その人本人にとっての成功や「こうなりたい」像であるかというと、決してそうではありません。
実際、「一流企業に入って結婚して子どももいるけれど、何故か気持ちが満たされない」「高収入でイケメンの旦那と結婚できたけれど、喧嘩ばかりでうまくいかない」という話は、ネットを見ていても少なからず見られるわけです。
それは、そのことが本人が心から望んだゴールではないからです。
そもそも「年齢を意識しながら生まれてきた赤ちゃんはいない」ように、年齢というものを基準として意識すること自体が意味のないことで、同じようにお金にしても育っていく過程で学んだ概念で「年収○○万以上稼ぐ」ことが必ずしも本人のゴールではない場合が多々あるわけです。
現在学生の進路希望では一二を争う勢いで「公務員」が人気を占めているようですが、多分、心の底から公務員の仕事をしたい人はあまりいないのでは?
だからこそ、そういった「他人からの刷り込み」を捨てて、自分にとってなにが本当のゴールなのか、あるいはなにが自分にとって価値なのか、そのモノサシについて考える必要があると、この本では語られています。
頭のゴミその②「過去の自分」「仮想の自分」
苫米地理論では「エフィカシー」「セルフエステーム」という単語がよく登場します。
少しだけ用語を解説すると、エフィカシーは「自分の能力に対する評価」で、セルフエステームは「自分の存在そのものに対する評価」のことです。
これらは目標達成やQOLを上げていくうえで重要なわけですが、そんな「自分自身に対する評価」を下げる「過去の記憶」や「あのときあれをしていればこうなっていたのに」という後悔はすべて、頭の中のゴミです。
これはわりとわかりやすいのではないでしょうか。
そして、人の将来の行動というものは、自己イメージによって決まっていきます。
「自分はモテない」と思っていればモテないような行動を繰り返し、「自分は能力がない」と思えば、実際はそうでなくとも自分で自己イメージに合った制約をかけてしまうのです。
だからこそ、「過去の自分」や「仮想の自分」は捨て去る必要があります。
過去の失敗体験を反芻することはやめて(これも頭の中のゴミ)、「ああ、あの時は自分らしくなかったな」「自分ならもっとできたのにな」とだけ思って、その過去は捨てる。
エフィカシー(=自分の能力に対する評価)を高くしていけば、頭のゴミが生まれることはないとのこと。
そのためには、「ポジティブな自己対話」だけをして、「ネガティブな自己対話」を決してしないことが重要です。
中々すぐできることではないかもしれませんが、過去を捨てて、自己イメージを高めていきましょう。
頭の中のゴミその③「周囲の目」
周囲の目、周囲の評価というのも頭の中のゴミの一つです。
「こんなことをすれば、他人はこう思うのではないだろうか」ということを我々日本人は特に考えるわけですが(僕はこれめっちゃ考えます)、そのことについてあれこれ考えること自体が、「頭の中のゴミ」であるとのこと。
いちいち周囲の目や周囲の評価に振り回されていたら、肝心の自己イメージや自分のゴールがブレてしまうことになります。
そもそも、「他人の目に映る自分」というのは、「自分自身が作り出した虚像」に過ぎません。
そんなものについて考えるよりも、自分の中のモノサシ、価値判断基準、ゴールを大事にして、それに基づいて行動することが、幸せに生きることにつながるとのこと。
頭の中のゴミその④「不安」「恐怖」
今の世の中で流れているニュースというものは、不安や恐怖、あるいは不満といったものを煽るようにできています。
前述したような、学生がこぞって公務員を目指すという傾向も、おそらく親類や友達、ニュース等から与えられた「将来への不安」からきていると思います。
どうしてどのメディアもこぞってそんなニュースを流すのかというと、その方が彼らにとって都合がいいわけです。
不安や恐怖、不満を煽ると、人間はIQが下がって(この本ではゴリラと表現していますが笑)、より本能的な行動を取るようになります。
コロナ騒動のとき、「一体何回鼻かむつもりだよ」と言いたくなるくらいティッシュペーパーを買い占めていたおばちゃん方も、そのような状態だったわけですね。
不安や不満を煽った方が、より反響が高く購買も促進されます。そうすると、まったく他人のアンジャッシュ渡部をバッシングするといった人も多く現れて、そこからより反響が高くなり、メディアの利益になるわけです。
しかし、そもそもそういった不安というものは、まったく感じる必要のない「頭の中のゴミ」です。
先ほどの公務員の話にしても、学生としては「食いっぱぐれるんじゃないだろうか」「職を失ってホームレスになるんじゃないか」という不安を抱えて、公務員という手堅い職業を志望しているんだと思います。
(少なくとも昔の僕はそうでした)
しかし、わざわざやりたくもない仕事をしなくても、例えばバイトであっても十分に食べていくことができるし、たとえそうでなくても、今の日本の制度からして飢えるレベルまで貧困になることは不可能です。
僕も後々知ったのですが、都心の駅前で見かけるホームレスというのは、自ら選択してホームレスになっています。
とはいえ、実際に大きな理不尽を被ったり、どうしようもない不幸に見舞われて食べていけなくなったという人というのは存在します。
しかし、そういった類のものは不安を持つ持たないに関わらず、来るときには来るものなので、あえてそのことであれこれ頭を悩ませるのは無意味です。
感じなくてもいい「不安」や「恐怖」は、「頭の中のゴミ」であると認識しましょう。
おわりに
いかがだったでしょうか。
この本で紹介されている「頭の中のゴミ」はこれ以外にもいくつかあるので、気になった方は是非書店に足を運んでみてはいかがでしょうか。
ちなみに、Kindle Unlimitedなら無料で読めますのでよければどうぞ。
それではー。