現代人必読なセネカの『人生の短さについて』を要約する

書籍

この忙しい現代社会。これをお読みの方にも、「時間がない!!」と嘆いている人は少なくないはず。

さて、そんな現代社会だからこそ読むことをおすすめしたい本を、今回は紹介します。

それがこちら。

セネカの『人生の短さについて』。

セネカはローマ帝国時代のストア派の哲学者です。また、あの悪名高いネロ帝の家庭教師をしていた他、ネロ帝即位時から数年は彼のブレーンとして手腕を発揮するなど、政治家としても活躍しました。

そんなセネカが学んだストア派というのは、人生の苦難や抗えない運命をいかに克服して、道徳的な個人の幸福を追求する哲学の一派です。

哲学なので一言での説明が難しいですが、要は「先人たちの叡智に触れ、自分自身の精神を鍛えることで『病気で倒れたり人からディスられた時、極端な話死ぬ間際でも幸せって思えるようになろうぜ』という考え」です。

セネカのすごいところは、なんと言ってもその生涯を通して、実際にストア派の教えを貫いたこと。

セネカは40歳の頃、政治争いに巻き込まれ、コルシカ島(ナポレオンの出身地としても有名ですね)に8年もの間追放されることとなります。

その際も、嘆き悲しむ彼の母親に、むしろその悲しみを克服すべきだとストア派の教えを促す書簡を送っています。

また、セネカはその最期も壮絶で、彼はネロ帝暗殺の加担の嫌疑がかけられ、かつての教え子であったネロ帝に自殺を言い渡されることとなります。

嘆き悲しむ弟子たちを前に「君たちは何のために哲学を学んできたのだ。今のような事態に立ち向かうためじゃないのか」と、毅然とした態度で自死に向かったとされています。(まぁこれには諸説ありますが。。。)

ちなみに、その生命力は凄まじく、最初ドクニンジンの毒を飲んでも死ねず、次に熱湯風呂の中に身を入れ、そこで自らの静脈を切ることで、ようやく死に絶えたといいます。

この『人生の短さについて』は、そんなセネカがローマ帝国の食糧管理官であるパウリヌスという方に宛てた書簡の内容になります。

この手紙の中で、セネカは忙しい仕事から離れ、閑暇な生活を送るべきだと助言をしています。

今回は、そんな『人生の短さについて』の内容をざっくり紹介していきたいと思います。

それではいってみましょう!

人生を引き算する

この本の冒頭でセネカが「老人目の前に立たせてこんこんと問い詰めてやりたいわ」的な感じで言っているのが、「人生を引き算してみろ」といった内容の話。

どういうことかというと、例えば80歳の老人がいたとして、その80年のうち、仕事のために使われた時間はどれくらいだったか思い返して、80年から引いてみる。

同じように、人付き合いに費やされた時間や、何かの行事に使われた時間、夫婦喧嘩に使われた時間、その他、多くの無駄にした時間を引いてみる。

すると、ほとんどの場合、最後に残った時間は、引かれていった時間よりも遥かに短いわけです。

どうしてこういうことが起こるのかというと、多くの人間が「まるで永遠に生きられるかのように生きているからだ」とセネカは述べています。

例えば、知人であっても「お金をくれ」と言われて二つ返事で渡す人は少ないでしょう。

しかし、同じように知人に「ちょっと付き合ってくれ」と頼まれるとどうでしょうか。

人は、いとも簡単に自分の時間を差し出すわけです。

自分の資産に対しては注意深く守っているのに、「自分の時間」という最も貴重な資源を、人は蔑ろにして簡単にあけ渡しているのです。


そうして、多くの時間を自分のためではなく、他人のために使ってしまっていると、セネカは述べています。

自由な時間こそが、最大の価値

一方で、人生は何かを成し遂げるには十分に長いということをセネカは述べています。

なら何が問題かというと、他人との付き合いやくだらない用事で「人生を自ら短くしている」ことなわけです。

多くの人は、「老後は○○しよう」と将来に希望を託します。

しかし、そんな老後が来る保証はどこにもなく、計画を先延ばしにしているに過ぎないのです。

このことについて、セネカはかなり辛辣にディスっているので、原文を引用したいと思います。

あなたは、たくさんの人たちが、こう言っているのを耳にするだろう――五十を過ぎたら仕事を引退しよう。六十になれば、公の役目からも解放されることだろうと。  だが、あなたがそんなに長生きする保証が、どこにあるというのか。あなたの思い通りに計画が進むことを、だれが許したというのか。人生の残りかすを自分のために取っておき、善き精神的活動のために、もうなんの仕事もできなくなった時間しかあてがわないなんて、恥ずかしいとは思わないのか。生きることをやめなければならないときに、生きることを始めるとは、遅すぎるではないか。  自分が死すべき存在だということを忘れ、五十や六十という歳になるまで賢明な計画を先延ばしにし、わずかな人たちしか達することのない年齢になってから人生を始めようとするとは、どこまで愚かなのか。

—『人生の短さについて 他2篇 (光文社古典新訳文庫)』セネカ著

例えば、病で余命宣告されたら、何かにすがってでも人生の残り時間を引き伸ばそうとするわけです。

それなのに、今という時間を、多くの人は食欲や性欲を満たすためだけの行動や、くだらない人付き合い、あるいは自分のためにならない仕事に費やし、人は自ら多忙になりにいっている。

それは多くの権力者や偉人たちも同じで、富や力といった多くを手に入れた彼らは、今度はそれを守るために、自分の時間を消費する。

そんな彼らも、結局は「自分の人生を生きている心地がしない」と、最後に求めるのは「自分の時間」なのです。

それを踏まえたうえで、「自分の人生を精査する」ことを、セネカは勧めています。

その上で、他人に侵害されない自由な時間を確保することを第一としています。

そうしなければ、不安と後悔に満ちた多忙の中で人生を送ることになります。

このことについても、セネカの言葉を引用します。

過去を忘れ、現在をおろそかにし、未来を恐れる人たちの生涯は、きわめて短く、不安に満ちている。この哀れな人たちは、死が間近に迫ってから、自分が長い間ただ多忙なばかりで、なにも意味のあることをしてこなかったことに気がつく。しかし、そのときにはもう手遅れなのだ。

—『人生の短さについて 他2篇 (光文社古典新訳文庫)』セネカ著

自由な時間をどのように使うか

では、確保された自由な時間を、どのように使っていくのか。

ここからはストア派の教えとも深く絡んできますが、セネカは「先人の叡智から学び、人生について、あるいは死について知る」ことを薦めています。

学ぶことで精神を修養し、真の意味での人生の充実を図るということですね。

この学ぶというのは、「歴史上初めて○○をしたのは○○だった」とか、クイズ番組で出てくるような知識ではなく、自分に影響を与え、精神に関わるような哲学のことを指しています

ちなみに自由な時間の使い方として、セネカは「せっかくの休息の時間も、ボードゲームやスポーツ観戦をしなければ楽しめないようじゃダメだよ」「そもそもそんなのは休息ですらないよ」と、遊びやはたまた詩を作るといった創作活動まで散々にディスっています。

(それは流石に個人的には同意しかねますが笑)

しかし、哲学を学ぶかどうかはさておいて、「自分でしかできないこと、自分が最も成し遂げたいこと、納得する人生の使い方をするべきだ」ということを、セネカは説いています。

終わりに

いかがだったでしょうか。

僕はこの本を読んでから、と、2週間は軽く鬱になりました笑

Kindle Unlimitedで無料で読めるので、一度読んでみてはいかがでしょうか。

個人的には、この本は購入して本棚に置いておく価値がある一冊だと思っています。

ちなみに、自由な時間を確保した後も、「自由な時間があるとだらけてしまう!」「やり始めても継続しない!」という方は、当ブログの成し遂げる力を養う技術習慣化の記事を一度参照してみてはいかがでしょうか。

それではー。

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