最近「自由に生きたいなぁ」と海外の航空券を調べてばかりいるわけです。
(台湾やタイくらいならホテル込みで5万ちょっとで行けちゃうらしい)
そんな「あれ、自分疲れてるのかなぁ」というマインドの中で手に取ったのが、この本でした。
それが、どん。
『自由に生きていいんだよ』。
うん、完全に現代社会に疲れてますね笑
この本は、カンボジアに現地NGOを立ち上げ、荒野の中に村を作り、工業化の流れで廃れていたカンボジアの伝統工芸の絹織物を復活させた森本喜久男さんに話を伺い、書籍化したものになります。
巷では「半農半X」なる考え方もあるようですが、この僕も定期的に、「田舎で畑でも借りて、のんびり文章でも書いて暮らしたいなぁ」という妄想に浸ったりするわけです。
この本は、今の日本ではほとんどないであろう村社会の姿について、日本の社会にがっつり浸っていた方から聞くことができる、貴重な内容になっています。
そして、読み終わってから、僕個人は「あー、いいなぁー。村で暮らしてー」と思うようになりました笑
それではいってみましょう。
お金を必要としない「奇跡の村」の暮らし
森本さんが作られたカンボジアの村というのは元々蚕の吐いた絹糸を自然染めし、伝統の技術で織り上げる「絹絣」という絹織物を復活させるためのものでした。
そのために、廃れかけた技術を覚えているおばあちゃんたちをかき集め、当時荒野に近かった場所に家を建てて、そこで織物の仕事の他、桑畑や菜園、植林を行うようになったよう。
また、その動きに対する反発の声を緩和するために、男たちに沼での魚獲りを提案するなどの働きかけもあってのことだったそうです。
そんながんばりがあり、絹絣は見事復活し、パリコレやラルフローレンからも認められ、「世界で最も優れた絹織物の一つ」と評されるまでに。
また、その村の活動にも注目が集まり、京セラの稲森和夫さんをはじめ、たくさんの方が村を見にやってくるようになったとのことです。
そんな村の暮らしについて、森本さんが話されたなかで、まず一つ驚いたのが、「働いた給料を取りにこない人がいる」ということ。
どういうことかというと、村で暮らすにあたって、まずお金を使うことが少ない。
家は森本さんが建てたものを使っているため費用がかからないし、各家に畑があるので食べ物も育てた野菜がある。お金を使うのは米を買うときくらいで、そのお金も男連中がやっている魚獲りで十分賄えている。
その結果、「お金を取りにこない」ということが生まれる。
また、森本さん自身も、娘さんに「お父さん、今どき貯金100万円も持ってない人なんていないよ」と呆れられるほど、お金はほとんど持っていないとのこと。
それでも実際には美味しいものを食べて、毎日幸せに暮らせていると話されています。
日本には「お金がない=貧しい、不幸せ」というイメージがこびりついているけれども、お金と幸せは必ずしも結びついていない。そしてそれは日本で住むにしても同じこと。
ある人は、千葉に移住をして土地を買って農業をしながら暮らしたら、生活するには月5万ほどで済むことがわかったよう。
「大卒で大企業に就職できなかったらお先真っ暗だと思う若者がいるけれども、そういった人ほどまず3年ほど農業をすべき」、と森本さんは話されています。
実際は幸せに暮らすことにはお金はいらない、ということをこの本は教えてくれています。
村というコミュニティ
また、幸せに暮らすことに関して、重要なことの一つが「人間関係」であることを、この本は教えてくれています。
ある日、日本の20歳の女子大生が森本さんの村を見学に来たそう。
その子はまだ20歳なのにもう「一生結婚しないし、子どもも作らない」と決めている。
しかし、村を回るなかで、子連れで働くお母さんや、職場ではしゃぎ回る子ども、泣きじゃくる赤ちゃんを見て、考えが変わり、「日本に帰ったら結婚します。子どもも欲しい」と言って帰ったそう。
日本は「お金があれば一人でも生きていける」と考えてしまいがちですが、人間である以上、大事なのは人と人のつながりだということをこの本は教えてくれています。
この村ではお互いが子どもの面倒を見合ったり、足りないものを借りたりするということが日常で起こっていて、身寄りのないおばあちゃんが亡くなれば、みんなで火葬をしてあげるとのこと。また、そういった人間関係にお金は介在していない。
また、働き方もとても自由です。
森本さんの村では、織物に関する仕事だけでも15個あり、どれでも好きな仕事を選んでいいし、やりたくない仕事はやらなくていいとのこと。
目の見えない方も職場におられるそうですが、そういった人には、目が見えなくてもできる仕事があてがわれる。その人に合った仕事がある。
また、ノルマもない。ただ、管理をするマネージャーのような人がいて、生産高によって給与も決まるとのこと。
職場には普通にその人たちの子どもや赤ちゃんがいて、隣で子どもが宿題をしたり、赤ちゃんをおぶったりするなかで、楽しく談笑しながら仕事をしている。
また、印象に残ったのが、絹織物のイベントの関係で、森本さんがその村の女性を日本に連れてきたときのエピソード。
満員電車で吊革にぶら下がっている人たちを見て、その女性は不思議そうに「なんでみんな怒っているの?」と森本さんに尋ねたそうです。
お金中心の社会でストレスにさらされ、人間関係も希薄になったなかのアンハッピーな顔が、怒っているように見えたようです。
社会が発展していたり、お金があるからといってそれが必ずしも幸福につながっているわけではないんだなぁ、と考えさせられます。
死ぬことが全然怖くない
もう一つ気になったのが、「死」についてのお話。
森本さん自身、このインタビューがなされたとき既に末期がんであったようですが、がん治療はまったく受けられていないとのこと。
「人間だって生モノだから、賞味期限がある」と、死ぬことに対して「全然怖くない」と言っておられます。
その考えに至るまでには、森本さん自身が、村の生活のなかで、たくさんの人の死に立ち会ってきたから。
カンボジアでは、亡くなっていくお年寄りたちが「自分の番が回ってきた」と表現されるそうです。
この村では、おばあちゃんが布団で寝ている横で、村の人たちがその人の葬儀の準備をしている。棺も用意して。まだ生きているのに。
生きていくことにも死んでいくことにも淡々としている。
死も日常の一部、ということ。
これを読んで、養老孟司さんが、「今の社会は『死』というものから切り離されている」と指摘されているのを思いだしました。
色々考えさせられる話です。
おわりに
いかがだったでしょうか。
ブータンの人たちが貧困の中でも幸福度が高い理由が、僕はこの本を通してわかった気がしています。
今はもう核家族化が進んでしまい、どうしても家族以外のコミュニティが希薄になり、孤独になってしまいがちです。
(高い知名度と人望を得られていたあの野村監督ですら孤独死だったのですから、考えさせられるものがあります)
最近では「若者が集まって村を作る」という動きも見られているようですが、本当にそれも必要なことだなぁと考えさせられます。
どこかに若者だらけの村ってないかなぁ。。。
とりあえず、この本を読み終わってからというもの、僕がすることは海外の航空券探しから、空き家バンクで近所の物件を探すことに変わりました笑
気になった方は、ぜひ本を手に取ってみてはいかがでしょうか。
それではまたー。